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■プロローグ
まっすぐに続く道は緩やかな上り坂で、大きな山も険しい谷もなく、現状の力を出しきれば苦もなく進んで行けそうに見えた。
このまま進めば、『人並み』以上の生活は保証され、『それなり』の人生は送れるかもしれない。
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思い返せば、平凡な人生だったのだろうか。
生まれは愛知の片田舎。
大手自動車メーカーのお膝元のその街は、安定と安穏が街全体を支配し、ゆっくりと流れる時間に身を委ねて26年を過ごしてきた。
バイクを乗り回したり、ミュージシャンを目指したりしたこともあったが、大きく道を踏み外すこともなく、両親と同じように大手自動車メーカーに就職。
設計士という仕事にやりがいも覚え、長年付き合ってきた彼女とは結婚も考えるようになった。
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見えてきた人生。
『それも悪くない』
生まれる前から敷かれていたレールはゆっくりと終着駅へと送ってくれる。
窓から時折映る景色は不況という風景を写しこみ多くの人が苦境にあえいでいるが、その列車に乗ってさえいれば平凡ながらも安定した生活を送ることが出来た。
そう考え始めた矢先であった。
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■『皐月物語』 ~旅路の果てに~
ホスト界を長年に渡ってリードする『グループダンディー』において、2011年グループ年間MVP&売上No.1を獲得。
2012年もその座を狙う『TOP DANDY』皐月。
歌舞伎町で名を馳せる多くの有名ホストの中で、彼ほど異色の経歴の持ち主は恐らくいないだろう。
伝説に名を連ねようとする彼の半生を振り返ってみた。
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真面目さだけが取り柄のサラリーマン生活。
地味ではあるが安定した生活。
不況の世の今では、誰もが望むがなかなか得ることの出来ない生活。
当時の皐月はそんな毎日を送っていた。
それが些細なきっかけをもとに終焉を迎えた。
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不意に見た上司の給与明細の中身に絶望を覚えた。
結婚を考えていた彼女との関係がぎくしゃくとし始めた。
見えてきた人生と見えなくなってきた人生の狭間で、皐月は大きく揺れ動いた。
8ヶ月間の葛藤の中で、皐月は今まで積み重ねてきた全てを投げ出した。
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会社を辞めて5日後、皐月は東南アジアにいた。
いわゆる『バックパッカー』としての世界一周旅行。
それは半年間に渡り、実に23カ国にも及んだ。
バックパッカーとしての生活は見るものすべてが新鮮に写り、多くの人と交わることで見聞を広めた。
もちろん今までの人生は『ちっぽけ』と言えるほど、つまらないものでもなかった。
『人並み』以上に努力をし『それなり』に人間関係を築き上げ、ささやかながらも『成功』を手に入れようとしていた。
しかし、今までのものが全て覆ってしまうほどの衝撃。
それが毎日訪れる半年間。
帰国した皐月は何にも得難い経験を手にしていた。
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帰国後はしばらく放心状態が続いた。
再び揺り戻された日常。襲い来る現実。
レールから外れた人生は真暗で一筋の光明も見えず、手探りさえ許されない閉塞感。
バックパッカーとして過ごした半年間がまるで夢であったかのように消え失せようとしていた。
おそらく以前の皐月であれば、押し寄せる停滞感に抗うこともなくそのまま押しつぶされていたかもしれない。
しかし半年間で得た経験は、皐月に新たな一歩を踏み出す勇気を与えた。
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僅かなお金を手に夜行バスでの上京。なんのあてもなく降り立ったのは新宿。
東京に出てきたものの金もコネもない状態で、ネット難民として過ごす毎日が続いた。
当然なけなしのお金は底をつき、必要に迫られてネットカフェのパソコンで見たのがホストクラブの体験入店の募集だった。
『日給5000円』
当時の皐月にはそれがやけに魅力的に見えた。
ホストというものに興味があったわけではない。
ただ、その日を過ごせればいい。
何件かのお店を渡り歩き、いわゆる『体入荒らし』で毎日を過ごした。
日銭を稼いでは再びネットカフェに戻り次の体入店舗を探す。
その場しのぎのその日暮らしの毎日。
ホストという仕事は皐月にはまったく魅力的に映らなかった。
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全てが予想の範疇。バックパッカー時代に受けた衝撃に及ぶものはなにもなかった。
そんな生活に見切りをつけようとしていたある日、1部営業での体験入店を終え、いつものネットカフェへの帰路につこうとしていた時に見えたのが『TOP DANDY』の看板。
当時のTOP DANDYは日の出営業で、長くサラリーマン生活を送ってきた皐月にとっては朝っぱらから酒を飲むなんて考えられないことであった。
長らく彼を支配していた常識。常識を踏み出した向こうには何が見えるのだろうか。
気づけば皐月はTOP DANDYの門を叩いていた。
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体験入店という僅かな時間。
皐月は大きな衝撃を受けた。
今まで体入したのとは全く異質のホストクラブ。とにかく面白い。半年間に及んだバックパッカー時代の体験が蘇る。
体験入店が終わった時、皐月は迷わず本入店を決めた。
皐月を面接した隼人ゼネラルマネジャーが当時を振り返って語る。
『とにかく地味でしたね。いいヘルプ要員が入ってきたと思いました。』
10代や20代前半でデビューすることが多いホスト業界。
28歳で業界に飛び込んだ皐月はゼロどころかマイナスからのスタートであった。
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当時のトップダンディーは何度目かの黄金期を迎え、
現TOP DANDYの代表である『一条 健』、現TOP DANDY I-OSの常務取締役の『信虎』、そして現MEDUSAの代表取締役社長の『華神覇流』らがしのぎを削っていた。
全てが規格外のスターたちの中で、皐月は『地味』。とにかく『地味』。
『華がない』
と言われ続け、少しでも見栄えを良くしようと流行りのホストファッションで身を固めたこともあった。
しかしそのような努力をすればするほどその他のホスト達の中に埋没していった。
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鳴かず飛ばずのホスト人生。
崖っぷちを迎えた人生。
転機は発想の転換だった。
『地味だと言われるならば、その地味を極めればいいのだ』
ネガティブをポジティブに変える逆転の発想。
華がないのなら華のなさをウリにすればいいではないか。
金髪メッシュだった髪はバッサリと切り黒髪に、服装もオーソドックスに黒のスーツに白のシャツ。ホストのスタイルとしては『地味』である。
しかしそれを武器に替えた皐月は強者揃いのTOP DANDYの中で頭角を現し始めた。
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■エピローグ
入店から二年と半年でナンバーワンを獲得。
さらに、『Group Dandy』での年間MVP&売上No.1も獲得。
順風満帆のホスト人生に見えるが、決してまっすぐな道ではなかった。
自らの足で歩き、そして自らが切り開いた道。
時には大きく曲がったり時には谷底に突き落とされたり、安定とは程遠いものだった。
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今でも当時を振り返ることがある。
『あのまま会社を辞めなければどういう人生を送っていただろうか?』
少しの困難はあっただろうが、恐らく予想とは大きく外れていなかったであろう。
しかし、そういう生活を悪く言うつもりはない。
両親や昔の友人達の人生は否定するつもりは毛頭ない。
ただ、ちょっとだけ人とは違う道を歩いてみたかっただけだから。
皐月の旅路の果ては、まだ見えない。
(撮影/中島省吾 by GAJI☆スタ)